小説「クリッター物語」 | 想い出
戦場に復帰してから、毎日のように戦場を駆け巡り、疲弊しきった彼の手元に一通の封筒が届いた。鋭利な爪で綺麗に封筒の縁を切り、八本の指を器用に駆使して手紙を破らないように慎重に扱う姿は、彼が小心者であることを物語っていた。
「日帰り魔界ツアーの招待券?」
手紙の内容から察するに、どうやら何かの懸賞に当選したらしい。懸賞についてはまったく心当たりなどなかった彼だが、戦場に繰り出されては、ぼろ雑巾のように扱われる劣悪な労働条件と、雇用主から明確な殺意を向けられる日々に鬱憤が溜まっていたことから疑念よりも、一時的とはいえど、現環境から解放されるプラチナチケットを目の前に、成す術などなかった。
ツアー当日。雇用主に黙って魔界ツアーに参加をすることになった彼の目の前に、黒い体毛を纏った一台の生きたバスが止まり、バスの鼓動に合わせるようにドアが開かれる。車内には頭部に二本の角が生えた肥満気味な運転手と、それとバランス調整するかのように不釣り合いな細身のバスガイドが乗車していた。
「あの、これ……」
「はい。ご当選された方ですね。この度は魔界発現世行き観光ツアーにご参加して頂き誠にありがとうございます」
「このバス、本当に乗っても大丈夫なのですか?なんか、その。猛獣に見えるし、ぼくのことを食べたりしませんよね?」
「はい。大丈夫ですよ。出発前にいっぱいご飯を食べさせたので。少なくとも本日は日帰りなので、問題は起きないかと」
「えっと、つまり過去に問題が起きたこともあると……」
「ええ。前のバスガイドの方が出発前にご飯を食べさせ忘れたようで……」
「……そのバスガイドさんとかは、どうなったのですが?」
「聞かない方がよろしいかと」
少々の不安を残しながらも生きているバスの体内に入場し、いざ何かが起きてもすぐに逃げられるように搭乗口から最も近い席を確保し、出発を待った。得体のしれない生きたバスの乗客席は、ふわふわとした体毛のクッションで非常に座り心地がよく。これまで酷使された身体に安らぎを与え、また仔猫達が彼にすり寄っているかのような温もりは、すり減った精神面を大いに癒し、いつしか彼は微睡みを超え、夢の奥深くに誘われてしまっていた。
「……らが生気を吸う……でございます」
周囲の喧騒で目覚めると、さっきまでがらがらだった席には空きがなく、多種多様な種族達が皆、左側の窓に注目していた。それに釣られ、彼も無意識にその方向に目をやると、頂上が見えないほど高々と伸びる塔の周辺で、蒼白く輝く数え切れないほどの霊魂がまるで救いを求めるかのように彷徨っていた。よく見るとその霊魂は徐々に天使の梯子を目指すかのように頂上を目指しているようで、ぽっかりと開いた雲の隙間から射す白光と混ざり合おうと懸命に動いていた。
「あの塔は、輪廻転生を司る象徴として崇められている魔界にとって、神聖な場所でございます。あの塔が存在するおかげで、わたしたちは現世で雇用主からひどい仕打ちを受けて死んでしまっても、魂が魔界へ戻り、再び受肉できるらしいのですが、それがどういうメカニズムなのか未だに解明されておりません」
宗教観とか、世界の理とか、そういった類のものと無縁の生活だった彼にとって、バスガイドの小難しい説明は理解できるものではなかった。それでも本能で「これは神秘的なもの」であることを三つの目から覗く真実が、彼をそう思わせるのだった。
その後、休憩ということで魔界でも比較的安全な場所へ駐車した生きたバスから下車し、彼は思う存分にツアーを満喫した。 予定されていた観光案内も終わり、ここからは自由な時間であったので、お土産を買うためにひとりで周囲を散策した。一方、他のツアー参加者は彼と違い、現世と冥界の狭間である魔界が危険な場所であることを十分に理解していたので、決して一人で行動することはせずに、万が一の為にお互いにやり取りしながら、注意深く魔界を観光していた。この意識の違いが、運命の分かれ目となってしまった。
「さてと、そろそろバスに戻らなきゃ。あー楽しかった」
無事に同僚に渡すお土産も決まり、すっかりご機嫌な彼は、先ほど下車したバス停へ向かい、そこに止まっていた生きたバスに何も確認しないまま乗車してしまった。よく見ると、乗車口周りの装飾だったり、確かにいたはずのバスガイドが消えていたり、なんか一緒に乗っていた観光客の姿がさっきとは違っていたりと、警戒していれば気付くことができたのだが、彼はすっかり油断していた。そして、ふわふわの体毛で施されていた席とは違う、固く凍てつくような席に座って、観光疲れからか、全ての違和感に気付かないまま、すべての身を預けそのまま眠ってしまう。
鋭い視線と、自身の毛深い体毛でも耐えきれない寒さのせいで目覚めた彼は、過去の記憶から瞬時に理解した。このバスは現世ではなく、冥界に向かっていると。 「すいません!ここから降ろしてください。ぼくは違うのです……」
悲鳴が車内に木霊するも、彼を囲い、ぎらつく眼差しを浴びせる得体のしれない生物や、生気の欠片もなく、全てを諦めてしまった表情で固まった乗客ばかりだった。彼の訴えは彼らにしてみたらただの雑音でしかなかった。
【お前ら、これが最後の休憩だ。長い監獄生活になるから、最後のシャバを楽しんで来い。わかっていると思うが、逃亡してもすぐ捕まるだけだし、良いことなんてなにもないから、変な気は起こすなよ?】
低く濁るようなアナウンスが流れ、冥界行きバスが停車する。整備されていない車道のせいで、彼の身体はあちこちで悲鳴を上げていた。少しでも苦痛を取り除こうとバスから降り外の空気を吸おうとするも、冷たい外気が身を強張らせた。
「もうだめだ。おしまいだ……」
あのアナウンスの言う通り、逃亡するのは現実的ではなかった。ここから現世近くまで戻るには最低でも自動車が必要で、ヒッチハイクをしようにもこの場所から現世へ向かう自動車などほぼ存在せず、永遠と続く一本道を徒歩で逃げるのはほぼ不可能に近かった。
「あれは……?」
霧に埋もれて確認し難いが、冥界方面の一本道から自動車のヘッドライトらしかぬ光が薄っすらと見える。周りの者たちはどうやら気付いていないらしく、彼は勇気を振り絞り、周囲に悟られぬようにそれに近づいた。そこには確かに自動車が存在していた。
「おや?あなたは?」
助手席に座る天使の姿をした者が、優しい笑みを浮かべている。
「お前も、同類か?」
額に「1」を烙印し、恐らく御洒落を拗らせてしまったのであろう悪魔の姿をした者が、困惑の表情を浮かべている。
「もしかして、現世に行かれるのですか?ぼく。間違ってここに来てしまって、どうか助けてくれないでしょうか?」 遠い昔、どこかで見たことがあるような顔触れではあったが、彼はそれどころではなかった。
現世で大暴れした歴代の大罪人達が最後の自由を満喫するために、それぞれが思い思いの時間を満喫している隙を見計らい、彼らを乗せた自動車は、一気にバスの横を突っ切る。とてもバスでは追うことをできそうもない速度の中で、彼は三つ目に涙を浮かべながら二人に感謝をするのだった。
最高時速を維持しながら凍えそうなほどに冷え切った真っ暗なトンネルをヘッドライトで照らしながら、大胆であり、慎重に抜け、現世へ近づくほどに、先ほどまで彼の身体を纏っていた寒さが和らいだ。それに比例し、絶望一色だった彼の心情は沸々とではあるが、希望に満ち始めていた。
「現世に帰ったら、すぐに主を見つけて私なしでは生きていけない身体にしてやるわ」
「天使のくせに拗らせすぎだろ……。俺は早く主に仇なす敵の情報を引き抜いて、正当な手段でまっとうに拷問かましたいぜ」
彼は心に蓋をして、楽しそうに談笑する二人に相槌を打ち続けた。もちろん、そんな平和は長くは続かなった。
永遠と続く一本道の先に、検問が敷かれていた。彼らは成す術がなかった。
「あの、きちんと許可は取っているはずですが……」
天使は怯えた表情を浮かべながら、何かの許可書を犬の警官に提出した。差しだされたその色白い細い手は、震えていた。
「確かにお前と、片割れの悪魔に関しては、お上からの仕事依頼があったから許可は出した。だが」 「これは、許可が出ていない」
先ほどまで乗っていた自動車のトランクから、にたにたと満面な笑みを浮かべる緑色の壺が出てきた。彼はそれがなんであるかを知っていた。
「……なんでこんなものがここに」
その壺の存在は、禁忌そのもので、間違いなく現世へ持ち込んでいい類のものではなかった。
「……この壺を現世へ持っていけば、必ずお前たちの罪が軽くなる。そうすれば本当の自由を手に入れることができるとでも思ったのか?」
兎の警察官の質問に、二人は答えなかった。天使と悪魔は抵抗せずに豊かな体格を伴う警察に従うように連行され、それとは反対に、彼は小さい身体で必死な抵抗をしていた。
「ぼくは違う!まさかこの壺を現世へ持っていく計画だったなんて、知らなかったんです!!」
あまりに暴れるため、犬の警察官の皮膚に、彼の鋭利な爪が食い込み、引き裂いてしまう。
「痛っ!貴様、公務執行妨害罪も追加だ!!!」
こうして三人は再び冥界へ逆戻りし、彼は二度目の獄中生活を送ることとなった。
「また貴方に会えてうれしいわ。そうよ、わたしが未だに現世へ帰れないのに、あなただけが戻れるだなんてどう考えておかしいもの。くすくす」
同じ牢に、精神をすっかり病んでしまった元同僚と共に、再び彼の長い獄中生活が始まろうとしていた。
終わり。